ロバートキャンベル おねえでなく両性愛者! パートナーについても

cocori
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スッキリのコメンテーターを務めるロバート・キャンベルさんが同性愛者であることを告白しました。
以前からおねえなの?という噂もありましたが、自民党の衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことに対しての批判とともに、
自らに同性のパートナーがいることも語りました。
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ロバート・キャンベル 同性愛者であることを告白

ロバート・キャンベルさんが、”「ここにいるよ」と言えない社会” というタイトルでブログに綴った想いをご紹介します。

衆院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と言うのを聞いて笑ってしまった。習い事のように何かのきっかけで始めたり、途中でやめたりできるもののように聞こえたから。当事者からすると、むしろ生を貫く芯みたいなものだと捉える人が多いに違いありません。言語にたとえるとどうでしょう。母語と同じように特段意識はしなくても、他者との交流の中で自然と芽生え、育ち、人間としてのポテンシャルを深めてくれる資質の一つであると私自身は見ています。言葉と違うのは、外国語のように学習してまるで違う文化に身を投じることはできない、という点でしょうか。

という文章で始まるブログ。

LGBTの人たちの現実についても言及しています。

 

その先、倒れても杖となるべきパートナーを病室に呼べず、彼(彼女)の健康保険に入ることが叶わず、老いては介護管理に関わらせることすらできません。先立たれれば相続はおろか、血縁者の反対にあえば葬儀にも出させてもらえません。かわいいそうにと感じる人は多いかもしれませんが、遠い話ではなく、すべて私が日本で出会い見聞きした人の現実です。

 

そして、自分自身が同性愛者だということを告白されたのです。

私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです。

 

もしも私が先に逝ったら、残された伴侶に不自由を掛けずにおけるのでしょうか。

 

さらに、杉田水脈議員が同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて「生産性がない」ので「支援」に値しないという発言をしたことに対しては、

 

杉田議員が「支援」と呼ぶものが何か、記事が曖昧で知りようはありませんが、税金の投入ないし減免であるなら、アメリカやカナダ・欧州などの例で分かるように十分に回収できます。同性婚を認めるからといって従来の家族の形に悪影響を及ぼしたり、社会を弱体化させたり、産まれるべき子供の数まで減らす等というデータを見たことはありません。

 

むしろゲイやトランスという人間の核心に関わる大切な側面を覆わせ続けることで、個々が社会との間に持つべき接点を希薄にさせ、文化にとっても、経済にとっても、未来に向かう大きな活力を削がせてしまうのはあまりにももったいないことではないでしょうか。

と意見を述べました。

 

積極的に排除はしないが「触れてほしくない」が日本の常識で「美風」であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます。アンケートにLGBTが「周囲にいない」と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して「いるよ」と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、「ここにいる」ことが言える社会になってほしいです。

引用元:ロバート・キャンベル公式ブログ 

と締めくくりました。

 

おそらく、
ロバート・キャンベルさんは、
自身がLGBTだということを告白しようと思ってこのブログを書いたわけではなく、
日本でのLGBTに対する認識の薄さについての意見を書く上で、
自分の経験も書いたというだけなのではないでしょうか。

わざわざ告白するというようなことではなく、それを自然に言える日本になってほしいと。

『積極的に排除はしないが「触れてほしくない」が日本の常識で「美風」であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます。』
との言葉には、
誰もが心に響くものを感じたのではないでしょうか。

確かにそのような風潮が日本にはあり、
それは性に関することだけではなく、多くのことでそうなのだと思います。

でも、当事者が、
安心して「ここにいるよ」と言える社会の仕組み、
ふつうに「ここにいるよ」と言える社会の雰囲気を作っていくことが、
今の日本では必要なことなのかもしれないと強く感じました。

ロバート・キャンベル パートナーはどんな人?

ブログの中で、
ロバート・キャンベルが同性のパートナーがいるということを告白されましたが、
それはどのような人なのでしょうか。

私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た

数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。

もしも私が先に逝ったら、残された伴侶に不自由を掛けずにおけるのでしょうか。

という言葉から、
パートナーが男性であるということ、
20年近く一緒にいるということ、
現在もこれからも一緒にいるであろうこと、
はわかりますが、
どのような人なのか、それ以上の情報はありませんでした。

ただ、これまでロバート・キャンベルさんに同性のパートナーがいるということは、
公表されていなかったので、
パートナー自身も、
隠していたというか、
隠さざるを得なかったというか、
そのような状況だったのかもしれません。

 

最近では、
勝間和代さんが同性のパートナーがいることを公表されましたが、
やはり、公表するまでは隠していたし、
公表することも悩んだとおっしゃっていました。

やはり、
現在の日本は、
「ここにいるよ」と言えない社会になってしまっているんですね。

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ロバート・キャンベル 同性愛者告白についての世間の声

今回の告白に対して、
世間の声は好意的なものが多いと感じました。

 

・キャンベル氏のような地位のある方がこのような告白をし、意見を述べることに大きな意味があると思います。敬意を表します。

 

・病院でも普通に対応してもらえて良かったですね。
特別ではなく、普通が一番だと思います。

 

・同性愛かどうかは別として、この人のコメントは優しいし愛があると思う。
人間性があると思う。

 

・いちいちカミングアウトするなって人がいるけど、友達とも家族とも恋愛、パートナーの話を全くしない人なんてそうそういないでしょう。そういうことがLGBTも自然に話せる社会になればいいと思う。

 

・人としての道を外れてさえいなければ
それでいいと思う。
狂った人間が増えすぎた今。
非難すべき対象はもっと別にある。

 

・誰かに迷惑をかけるわけじゃないなら、その人個人の人生だし批判しようとは思わない。
たとえ自分の子どもがそうだったとしても。

 

こういった好意的な意見の人が多いのにも関わらず、
「ここにいるよ」と言えない日本。

それもが大きな問題なのかもしれません。

まとめ

ロバート・キャンベルさんのブログを読み、
自分自身、LGBTに対しての関心が薄かったと感じた人も多かったのではないでしょうか。

現実として、LGBTの方たちは、
日本で生きにくいと感じている。
周りの理解がないと感じている。

そんな日本になってしまっているといえます。

特別なことではなく、ふつうに「ここにいるよ」と言える日本に少しでも近づけるように、
私たち1人1人がもう一度考え直したいと感じました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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