逸見政孝 がんで断末魔の苦しみは想像以上だったはず!3kgもの内臓を摘出していた

cocori
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1993年にこの世を去った逸見政孝さん。48歳という若さだったことも衝撃でしたが、
「わたくしがいま侵されている病気の名前…病気はがんです」という会見も忘れられません。
その会見からわずか3か月に亡くなった逸見政孝さんの最期(断末魔)はどのようなものだったのでしょうか。
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逸見政孝 がんで断末魔の苦しみ

逸見政孝さんが記者会見を行ったのは、1993年9月6日でした。
そのときの動画がこちらです↓↓

 

「わたくしがいま侵されている病気の名前…病気はがんです」

この言葉に衝撃が走りました。

「わたくしは1年後に亡くなるのは本意ではありません」

と話し、3か月間仕事を休んで癌と向き合うということが発表されました。

その後、9月16日に受けた手術では胃を摘出。

術後は猛烈な痛みと抗がん剤による副作用に襲われたそうです。

その1か月と少しの後、10月23日、一時帰宅が許された日に脳閉塞が起こり、病状は急激に悪化。

手術後は抗がん剤が投与され、
その影響で常に吐き気と戦い、
体力は落ち、ぐったりしている状態だったそうです。

気持ちが悪くて口もきけない状態。

12月21日に熱が40℃以上に上がり、容体が急変。

そして、1993年12月25日に家族に見守られながら帰らぬ人となりました。
記者会見からはわずか3か月でした。

癌と向き合うために仕事を休み、
癌と戦い続けてきた逸見さんが。

最後は話すこともできず、本当に苦しい思いをされたのだと思うと、
涙が止まりません。
そして、それを見守っていたご家族も、とても辛い思いをされたのだと思います。

逸見政孝さんの妻である逸見晴恵さんは、
著書「私ががんを恐れなくなった理由」の中で、
逸見政孝が受けた手術に対する疑問を語っておられます。

 

「手術をしなければ、あと1~2年は元気に仕事ができたかもしれない」

「主人の手術はやらないほうがよかった。あの時、どうしてセカンドオピニオンを受けなかったのか。悔やんでも悔やみきれません」

「手術をしない方が、抗がん剤を投与しない方が、苦しい思いをせず、長生きできたのでは」

 

逸見政孝 最後の手術では内臓を3kgも摘出していた

逸見政孝さんは、弟を胃がんで失い、それ以来毎年がん検診を受けられていたそう。
ですが、そんな逸見政孝さんに胃がんが見つかったのは、1993年の1月でした。

そのときには、初期のがんだと申告され、
取り除けばすぐに復帰できるとの説明を受けて手術を決意されたそうです。

ですが、実際には悪質で進行の速い「スキルス性のがん」だったんです。

5月に手術の痕に突起のようなケロイド状腫瘍ができ、
8月にそれを取り除くための2度目の手術が行われました。

そして、9月の記者会見です。

記者会見後の9月16日の手術では、
内臓3kgを取り除いたそうです。
13時間にも及ぶ大手術でした。

この手術に関しては、多くの専門家から批判もあったようです。

本当に必要な手術だったのか、
ただ、死期を早めただけだったのでは、という意見も。

 

 

逸見政孝さんの妻である逸見晴恵さんも、
後に、セカンドオピニオン、サードオピニオンの重要性について話されています。

今でこそセカンドオピニオンという考え方が浸透してきていますが、
当時は “医者は絶対” という風潮が強かったのだと思います。

ましてや、『がん』という大病を患ってしまったら、
医者に頼るしかないという状態。

本当は何が正解だったのか、素人である私には全くわかりませんが、
逸見政孝さんの死によって、
セカンドオピニオンということについて考えるきっかけとなった人も多いのかもしれません。

まとめ

「わたくしは1年後に亡くなるのは本意ではありません」
と話していた逸見政孝さんが、
1年どころか3か月で亡くなってしまったという現実。

逸見政孝さんの死は、驚きと悲しみを日本中にもたらしました。

あれだけ大人気アナウンサーの壮絶な最期、断末魔。

医療と向き合うときに、考えなければいけない大事なことを教えてくださったのかもしれません。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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