潜伏キリシタン関連遺産 場所は長崎と天草地方。新たな世界遺産はどこにあるのか具体的にお伝えします!

cocori
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潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されました。
国内の文化遺産は18件目。自然遺産と合わせると22件目となります。
では、潜伏キリシタン関連遺産の場所は長崎と天草地方のどこなのでしょうか。
具体的な場所をお伝えします。
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潜伏キリシタン関連遺産 場所は長崎と天草地方

潜伏キリシタン関連遺産の場所は、
長崎と天草地方ということなのですが、
具体的にはどこなのでしょうか。

まず、長崎というのは長崎県のことですよね。
そして、天草地方というのは、熊本県天草市にあたる地方のことです。
熊本県天草市は、長崎県と瀬戸を挟んで隣接しているんですね。

日本列島の南西部、九州の西端に位置するため、
古代より日本と大陸の架け橋になっていて、
キリスト教の宣教も盛んにおこなわれていた地方のようです。

信徒の間に強固な共同体が形成され、

そのため、
キリスト教が禁じられた時代でも、
隠れて信仰を続けていく独自の信仰のかたちが生まれたそうです。

潜伏キリシタン関連遺産には、以下の12の遺産があります。

「原城跡(はらじょうあと)」
「平戸(ひらど)の聖地と集落(春日集落と安満岳(やすまんだけ))」
「平戸(ひらど)の聖地と集落(中江ノ島(なかえのしま))」
「天草の﨑津集落」
「外海(そとめ)の出津(しつ)集落」
「外海(そとめ)の大野集落」
「黒島の集落」
「野崎島の集落跡」
「頭ヶ島(かしらがしま)の集落」
「久賀島(ひさかじま)の集落」
「大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)」
「奈留島(なるしま)の江上(えがみ)集落(江上天主堂とその周辺)」

具体的な場所はこちらの地図をご覧ください↓↓

それぞれの遺産が何を表しているのかというと、
「原城跡」は、国内に宣教師が不在となってキリシタンが「潜伏」するきっかけとなる出来事が起こった場所であり、
「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」 「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」「天草の﨑津集落」「外海の出津集落」 「外海の大野集落」は禁教期に何を拝んで信仰を実践していたのかを示し、
「黒島の集落」 「野崎島の集落跡」 「頭ヶ島の集落」 「久賀島の集落」はどのような場所を選んで共同体を維持したのかを示し、
「大浦天主堂」は宣教師との接触により転機を迎えた場所であり、
「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」は「潜伏」の終焉を示します。

 

キリスト教が日本に伝えられたのは、1549年。
イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによって伝えられました。

しかし、
豊臣秀吉のバテレン追放令に続く江戸幕府の禁教令により、すべての教会堂は破壊され、宣教師は国外へ追放されてしまいました。

1637年、禁教が深まる中、圧政をきっかけにキリシタンが蜂起して「原城跡」に立てこもったのが、「島原・天草一揆」です。

 

この「原城跡」も12の遺産の1つですね。

1854年に開国後、長崎に来た宣教師たちは、
「大浦天主堂」を建設し、居留地の西洋人のために宣教活動を行いました。

しかし、再び弾圧が強化され、
ようやくキリスト教が解禁されたのは1873年だったといいます。

 

キリスト教解禁後は、

潜伏キリシタンは、宣教師の指導下に入ってカトリックへ復帰する者、
引き続き自分たちの信仰形態にとどまる者、
神道や仏教へと改宗する者へとそれぞれ分かれました。

 

カトリックに復帰した集落では新たに素朴な教会堂が建てられていきましたが、
「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」に建てられた江上天主堂は、
移住先の風土に適応した在来の技術のあり方を示すとともに、「潜伏」が終わりを迎えたことを象徴的にあらわしています。

各遺産は離島など、交通の便のよくないところに位置しているので、
アクセスとしては、船などの交通機関を利用することになるようですが、
一度は訪れてみたい場所ですね。

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潜伏キリシタン関連遺産 世界遺産に登録

潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されました。

12の構成資産すべてに、「顕著な普遍的価値がある」と認められたということです。

2015年に政府が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として推薦書を提出したときには、
ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」から禁教期に焦点を当てるべきだと指摘されていました。

政府はいったん推薦を取り下げ、禁教期と関係が薄い2資産を除いて練り直して
昨年、推薦書を再提出し、それが認められたことになります。

 

今回の登録にとって、
国内の世界遺産は文化遺産が18件、自然遺産が4件の合わせて22件となります。

 

 

この世界遺産登録がきっかけに、
この地方の歴史について深く学ぶ人も増えるでしょうし、

訪れる人も多くなり、それが地域の力になるといいですよね。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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