
森田童子さんといえば、ドラマ「高校教師」主題歌「ぼくたちの失敗」が有名です。
素顔も素性も明かさない森田童子さんでしたが、2ヶ月遅れの訃報に森田童子さんらしいとの声もあがっています。
森田童子 死去!死因は?
森田童子(もりた どうじ)さんが亡くなったのは、
今年の4月24日。
66歳でした。
これは、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載されたことで判明したもので、
亡くなってから2か月近く経っての訃報となりました。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報がこちら↓↓
TLに流れてきた森田童子さんの訃報、本当だった。合掌。 pic.twitter.com/gZRSjWCGe1
— gaecen ueno (@gaecen) 2018年6月11日
この会報では65歳と記載されていますが、
他のメディアは66歳と報道しており、
おそらく66歳だったのではないかと思われます。
亡くなったという事実だけが記載され、
それ以上の情報については、全く触れられておらず、
他のメディアでも、死因については不明だと報道されています。
森田童子さんは持病があったという情報もありましたし、
66歳という若さを考えても、
何らかの病気だったのではないかと想像します。
それにしても、66歳というのは早すぎます。
このようなツイートをみかけたのですが↓↓
森田童子さん亡くなったんですね、それを知らなければ永遠に生きていました、他人の死は言葉でようやくかたちになるんですね
— たかはしほのか📮 (@AveMaria_10) 2018年6月11日
「他人の死は言葉でようやくかたちになる」
というのは、まさに、だと感じました。
森田童子 ドラマ「高校教師」の主題歌・動画
森田童子さんと言えば、 ドラマ「高校教師」の主題歌、「ぼくたちの失敗」が有名です。
30代後半以降の人なら、
誰もが口ずさめる曲ではないでしょうか。
[su_youtube url=”https://youtu.be/iER-NZ7GoM8″]
切ないメロディがドラマと一致していて、
ドラマの展開に合わせてこの曲が流れた瞬間、なぜかつーーーっと涙が流れてしまう、そんな曲でした。
ドラマのワンシーンもご覧ください↓↓
【追悼】森田童子
ドラマ「高校教師」第9話 持田真樹と京本政樹の関係がバレた時が凄い。「僕を愛さない女達が悪いんじゃないか!!」←どんな言い訳だよ。挿入歌の入れ方も素晴らしい。この後100万枚売れたんだよ。
森田童子 – 男のくせに泣いてくれた#森田童子#高校教師 pic.twitter.com/HQoOkwsHcO— 先輩のハト (@senpai_hato) 2018年6月11日
野島伸司さん脚本のこのドラマ、
真田広之さん演じる高校教師と、桜井幸子さん演じる女子高生の恋愛に日本中が夢中になりました。
そして、
最終回の結末はどうなったの?とも話題になりました。
こちらが最終回のエンディング↓↓
6月12日かようび、恋人の日のニュース
「高校教師」の主題歌ヒット「ぼくたちの失敗」で知られる、
森田童子さん が4月に死去していたことがわかった#森田童子 #高校教師 #恋人の日
「高校教師」最終回エンディング 1993年
真田広之と桜井幸子の名シーン
森田童子「僕が君の思い出になってあげよう」 pic.twitter.com/GvvMTOx2bb— JOE CAESAR FUSE 100k (@jcf825) 2018年6月11日
2人は心中したのか、していないのか。
もう一度最初から見たくなりますね。
森田童子 素顔
森田童子さんは、本名も素顔も一貫して公開しませんでした。
メディアに出るときには大きなサングラス姿で、
スタッフにも素顔は見せなかったそうです。
森田童子さんの訃報を先程知って取り乱しております。
一昨年のリマスター再発盤が、
ファンへの最期の贈り物になってしまいました。
これからもずっと童子さんの音楽を聴き続けますし、
歌い継いで行きたいと思っております。
森田童子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/A9NWI1KvYg— Eine*10/7極彩パビリオン (@EineBlume70s) 2018年6月11日
直筆の色紙を持っている方がTwitterに画像を投稿されいました↓↓
#森田童子 亡くなられたと。ただただ悲しい。新宿ロフトと吉祥寺・前進座でのライブ。この2度しか行ってないがその時の印象は今も強く心に残る。ご冥福を祈ります。いい音楽をありがとう。 合掌 https://t.co/0RqSYwB2mV pic.twitter.com/wpouLmjfhS
— 原つねひこ〈脱原発・改憲反対〉 (@darmat_blue) 2018年6月11日
字も独特ですね。
芸能界から離れた後は、主婦として生活していたという情報がありますので、
結婚して家族がいたのではないかと思います。
ただ、
素顔も素性も隠したかった人なのだから、
これ以上詮索しないでいたいという気持ちにもなりますね。
「森田童子」として、
本当の自分とは別の人格として歌っていたのかもしれません。
森田さんは、1972年に友人の死をきっかけに歌い始め、
1975年に、シングル「さよならぼくのともだち」、アルバム「グッドバイ」でデビュー。
以後ライブハウスを中心に活動を行いました。
1983年の新宿ロフトのライブを最後に活動休止しています。
これが、「さよならぼくのともだち」↓↓
[su_youtube url=”https://youtu.be/_KVuJT3Z3z8″]
「たとえばぼくが死んだら」↓↓
[su_youtube url=”https://youtu.be/HjwiEFmwyis”]
過去に雑誌のインタビューのこたえている画像もありました↓↓
森田童子さんって、インタビューからして非常に内省的な人だったんだな… 合掌 pic.twitter.com/9tSO3KAhQO
— アズキバーちゃん (@azukibarchan) 2018年6月11日
とても印象的な歌声で、切ない歌を歌ってこられた森田童子さん。
今はただご冥福をお祈りいたします。
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