石牟礼道子 夫の死から2年半 「苦海浄土」はただの記録文学ではなく水俣方言で生々しく表現された魂を貫く作品

石牟礼道子さんが2月10日亡くなられました。夫である礼弘さんの死から2年半でした。
石牟礼道子と言えば、ノーベル賞に近い女性と言われ、その代表作「苦海浄土」は水俣病について書かれた不朽の名著とも言われます。

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石牟礼道子さんのプロフィール

名前:石牟礼道子(いしむれ みちこ)
誕生日:1927年3月11日(享年90歳)
出身:熊本県天草郡河浦町(現・天草市)

経歴
水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て、1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始

主な著書
・苦海浄土 わが水俣病(1969年、講談社文庫1972年)
・天の魚 続・苦海浄土(同上)
・十六夜橋(筑摩書房、1999年、径書房、1992年)
・はにかみの国 – 石牟礼道子全詩集(石風社、2002年)
・石牟礼道子全集 不知火(全17巻・別巻1、藤原書店、2004年 – )
・祖さまの草の邑(思潮社、2014年)

主な受賞歴
・1973年 – マグサイサイ賞(『苦海浄土』)
・1993年 – 紫式部文学賞(『十六夜橋』)
・2003年 – 2002年度芸術選奨文部科学大臣賞(『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』)
・2014年 – 第8回後藤新平賞、第32回現代詩花椿賞(『祖さまの草の邑』)

1946年に石牟礼弘(ひろし)さんと結婚され、
翌年には長男の道生(みちお)さんが生まれています。

2015年に石牟礼弘さんは亡くなられています。

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苦海浄土とはどんな作品なのか


1959年、石牟礼さんは、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、
「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心されました。
水俣病患者の話を聞き、裁判をめぐる動向なども含め、水俣病について書かれた不朽の名著としてされています。

1969年に「苦海浄土」第1部が刊行され、
1974年に第3部「天の魚」、
そして、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結となりました。

一部をご紹介します。
ある老いた漁師が、あねさん(石牟礼道子)に、水俣の海での夫婦二人の漁を語る場面です。

沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことあるかな。
そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色のついて。かすかな潮の風味のして。
かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。
……あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。
……これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。
寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで。
水俣の方も島原の方もまだモヤにつつまれて、そのモヤを七色に押しひろげて陽様(ひいさま)の昇らす。
ああよんべはえらい働きをしたが、よかあ気色になってきた。
かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃる。空は唐天竺までも広がっとるげな。この舟も流されるままゆけば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなが、極楽世界じゃのい。
いまは我が舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。

水俣方言で書かれ、それが独特なリズム感を生み、ただの記録文学ではない作品の面白さともつながっています。

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苦海浄土のレビュー

苦海浄土のレビューを集めてみました。


凄絶な内容を語りながらも、まるでお伽話のような、登場人物への強い愛おしさを抱く作者の視線が感じられ、そこに「道子の世界」が描き出されていたので、自分も一緒に哀しみ、慈しみながら最後まで読み通すことができた。そして、その世界に酔い、「詩文コレクション1 猫」も続けて読み、私の価値観が少し変わったように思える。心を揺さぶる力が、とにかく凄かった。

もう一度読みたくてさがしていました。こんなに叙情的でありながらルポルタージュの正確性を持つ作品をしりません。水俣病とはなにか、をその当時の人々の生活、考え、街に漂う空気まで匂い立つように生々しく描いています。

冒頭の山中九平少年の不自由な体を懸命に動かして“野球”の練習に取り組む描写に心を持っていかれました。水俣病になってしまった人の懸命なけれど報われることのない人生を象徴しているようで。淡々とした病状などの記録の記述と心の叫びを秘めた患者たちの言葉は凄絶な歴史の記録として決して忘れてはならないものだと感じました。

水俣病の症例発生、原因企業への補償要求、公害認定、生き残った患者たちへの救済要求などの社会的な動向を地元で自ら観察者または参加者となって活動した部分と患者たちの心情を綴った詩的な独白とが入り混じり変化に富んだ構成に引っ張られて一気に読了しました。
あきらめとも違う、容認とも違う、自己主張というと印象を誤るかもしれませんが患者、家族の独白調の部分を読むとまさに人間の尊さというものがヒシヒシと伝わってきます。
あとがきを読んでちょっと衝撃を受けましたが、書かれている言葉はまさに被害者たちの心の叫びであると信じられる力強さがあります。

読んで、重く、苦しくなる内容の本でした。フィクションではなく、これは事実なのです。水俣病に侵された何の罪もない住民たち、それを認めない企業、理解のない社会。この水俣病による苦しみは、後生に語り継いでいくべきものだと感じました。

著者の故郷で起こった公害病・水俣病の患者と家族の苦しみを綴った、1972年発表の作品。第1回大宅壮一ノンフィクション賞(1970年)に選考されたが、受賞を辞退している。
本書は、水俣病の患者や家族に対する取材によるルポルタージュとして読むことができ、その記録は壮絶かつ清冽なものである。また、中で使われている天草のことばと、時に詩的な表現が、人々の魂の叫びを生き生きと伝えている。大宅壮一ノンフィクション賞に推されたのも宜なるかなである。
しかし、本書の原型の作品が連載された地元の雑誌の編集者が記した解説によると、本書は膨大な事実のディテールを踏まえて書かれた作品であることは間違いないが、一般に考えられているように、患者たちが実際に語ったことを基にした、所謂聞き書きではないと言う。
そして、石牟礼氏自身も、その編集者の問いに対して、「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と語ったと言う。
まるで巫女のような仕事。石牟礼道子の作品は、その後「巫女文学」とも呼ばれている。
日本の近代産業史で語り継がれなければならない事件を、美しいことばで綴った稀有な作品である。

この本を読んで誰かに何か言うとしたら「私は読んでよかった」ということだけだと思う。これまで読まずにいたことを懺悔したいほどの読書体験だった。が、感想や批評の対象にすることが不可能とはいわないまでも非常に困難な内容である。著者と取材対象者と著作物がこれほどまでに一体化して分かちがたく融合した作品をほかに知らない。いわゆるノンフィクションやジャーナリズムではない。私小説でも日記でもない。

著者は、「昭和二八年末に発生した水俣病事件に悶々たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録せねばならぬというもう動的な衝動にかられ」、故郷の人々が突き落された地獄に自ら降りて行って、そこに留まって憑りつかれたように我を忘れて言葉を紡いだ。世に言う自動筆記の状態で書いたかのような異常な臨場感と、どれだけ悲惨な光景のなかにも通常の人間が見逃してしまうような微かな詩情をくみとる感受性と表現力。日本を代表する公害病、水俣病については教科書で習ったきりでその発生の経緯や被害の詳細については知らなかったというより知ろうとしなかった自責の念と、それを知ることによって湧き上がってくる逃げ出したくなるような恐怖と震えるほどの怒り。読み終えるまでに何日もかかった。目を背けたくなるほどの惨たらしさのなかに織り込まれた一筋の神々しさを前照灯として、なんとか日に数ページずつ読み進めた。

さらに読み足を鈍らせたのは、この本に書かれていることと福島第一原発事故とのあまりにも不吉な符合である。水俣の話を読みながら脳裡には絶えず福島があった。「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではない」とのっぺりとした口調で繰り返す官僚や政治家、汚染水が漏れているというニュース映像に映っている防護服に身を包んだ作業員の人たちのことが思い出された。企業も、政府も、また同じことを繰り返しているのではないのか。水俣病の実質的な発生は昭和28年。正式な報告書が出されたのが昭和31年。国会議員調査団が水俣入りしたのが昭和34年(このとき漁民のデモが新日窒の工場における暴動に発展)。この年の末、会社側が急ごしらえの排水浄化装置をつくり、漁業補償金と病死者への弔慰金の支払いを決したが、この期に及んでも有機水銀説を受け入れず、議員団には「昭和ニ十八、同二十九年を境として水俣湾に異変が起こったと考えるのが常識的と思われる」という驚愕の報告をしている。しかもこの昭和34年まで、不知火海に水銀を流し続けた新日窒は水俣病患者の病棟を「一度も」訪れていない。

山中九平、江津野杢太郎、坂上ゆき、杉原ゆり……水俣病患者である彼らの言葉にならない言葉を著者が紡ぐ。その家族たちの苦悶と怨嗟を代弁する。豊かで美しかった海を回想し、その海とひとつになって生きてきた漁師たちの尊厳を訴える。杢太郎の爺さまが「魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要るとおもうしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい」と語った「天下さまの暮らし」が奪われた悔しさを哀しいほど美しい故郷の言葉で綴られる。それはこの災いをもたらした人間の一部である己を見つめる作業でもあった。その苦しさがおもわずこぼれる。

「まさに死なんとしている彼がそなえているそ尊厳さの前では、わたくしは――彼のいかにもいとわしいものをみるような目つきの前では――侮蔑に値する存在だった」
「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった」
「安らかに眠ってください、などという言葉は、しばしば行者たちの欺瞞のために使われる」

声を失った人間の心の奥深くにまでもぐりこみ、沈殿した言葉を掬い取り、いったん自身のなかで蒸溜し純度を高めて綴っていくという常人では耐え難いほど精神的苦痛を伴う執筆作業を続けながら、水俣病という惨禍を偶然の悲劇に終わらせず、人類の人類に対する犯罪という社会的、歴史的文脈で捉える姿勢を著者はひとときも崩さない。この憑依力と客観性の両立はほとんど奇跡である。それによって本書は「感傷的な詩的散文に堕していない」作品として結晶した。著者の巫女のごとき共感力と比類なき表現力がこの作品に与えた普遍性については『逝きし世の面影』の著者でもある熊本出身の評論家、渡辺京二による解説によってあますところなく説明されている。著者自身も「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」と書いている。自らの醜さと愚かさをそれぞれの人間がこころに刻み込むべくこの本が何度も何度も繰り返し読まれ語り継がれんことを。

引用元:Amazon

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さいごに

石牟礼さんは、2002年頃からパーキンソン病を患いながら、口述筆記などで執筆活動を継続されたそうです。
通常のノンフィクションのレベルのとどまらない作品は、まさに石牟礼さん自身の想いが込められた作品なのだと感じました。
過去のこととして忘れ去られている水俣病について、もう一度見つめ直し、
それを現代の問題と照らし合わせて考えていく必要があるのではないかと感じます。

石牟礼さんのご冥福をお祈りいたします。

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